タイザンの陣にダンジョウとイゾウが息を切らして駆け込み、
ハヤテもひょいと境界をまたいで入ると、やれやれと息をつく。
三人を追い飛びかかる妖怪はその境で見えない壁にぶつかり、弾かれ、消し飛んだ。
「頃合だな」
戻ったばかりの3人は、ゴールして崩れ折れるマラソンランナーのような態だったが
それぞれが仕掛けて来た符が共鳴し発動するのを感じて顔を上げる。
グン、と気が移動し、金行の三角形が誇大してゆく感覚を捉えるのは、人の五感のどれでもない。
ただただ高く澄んだ音が、鼓膜を震わせたように錯覚した。
その瞬間、空港に地流の六芒星が完成したのだった。
地の赤い金気が、天の青い木気をみるみる駆逐する。
タイザンは満足気に頷き、左腕を大きく横に払って次の指示を与えた。
「よし、戻れ!」
「「「……?」」」
誰も行動しない。
「何をしている、早く持ち場に戻れ」
未だ呼吸の整わないイゾウがゼェゼェ息をつきながら挙手し
「あのー、言ってる意味が、よくわかりません」
至極真面目な顔つきで、タイザンはそれに答えてやった。
「頂点の符が拡張先に引かれ動くことがないように、押さえていろ、と言っている。」
「はあ!?だったら戻って来なくてよかったんじゃねぇの!?」
ダンジョウも納得いかない様子で、額の汗を拭い疾走を続けた動悸が収まらないまま食ってかかる。
それにも、涼しい顔で答えが返る。
「お前たちの移動は、金行の気をまき散らし結界をより強固なものにするのに役立っている。
よくやった。妖怪も消えたしあとは事がすむまで符を押さえていろ。行け!」
「そんなあ!そもそも符を押さえるって!?知らねえよそんな術!」
イゾウの最後の抵抗にダンジョウもそうそう、と首を縦に振り同意した。
「素人ではあるまいし馬鹿なことを聞くな。動くなと念じればよいのだ。
早く行け、結界が解けたらまた妖怪が出るぞ」
心から馬鹿にしたような態度で急かされ、渋々来た道を戻る2人だった。
「アンタ人使い荒いなあ」
肩を竦めたハヤテも、諦めのため息と共に出ていく。
キリヒトはクタクタになっている仲間を見送り「中継役でよかった!」と心の内で喜んでいた。
しかし、それを見透かしたようにタイザンは言い放つ。
「もう外も暗くなる時刻だ。降神しろキリヒト。飛んで、封印に鍵をかけてこい」
「……え?…今なんと?」
「ここは海の上だ。こんな場所にある封印に土行の私が手を出すのも憚られる。
埋火に目くらましをかけてやるから堂々と行って来い。」
もちろんタイザンが鍵をかけても何の問題もないのだが、
部下全員をこき使ってやらなければ気が済まない。
多くの人の目がある場所で降神した式神と行動した事が無かったキリヒトは
なんだか猛烈に恥ずかしがっていたが、有無をいわさず送りだした。
ミンゴベエはキリヒトを抱え、ご機嫌で滑走路に飛んで行った。
「さて…、ワクラバはまだ自陣にこもっているのか?」
ようやくひとりになれたタイザンが気配を探ろうかとした時
カツ、と硬質な物を打つ音。
同時に、人払いの陣の性質がガラリと変わり、現世から隔絶された。
布いた術を乗っ取られた形になる。
だが、色も音も失った周囲に動じることなくタイザンは突っ立ったまま。
再び「カツ」と鳴る音に、ようやく口を開く。
「ここは禁煙のはずですが」
声をかけた先に、背の低い小柄な老人が佇んでいた。
「… 地流めが …」
何度も打ち付けた煙管に火は入っていない。
だがそれをゆっくりとくわえ、ただでさえ皺だらけの顔にさらに深く皺を刻み、タイザンを睨む。
年老いた男のその表情は、笑ったようにも見えた。
「くだらぬ結界なぞ張りおって、無駄なこと。…効かぬわ、愚か者が」
「まあそうだろうな。おまえ自身の力は妖力。結界は妖力を張り巡らせていた木属性を封じたに過ぎん」
「ほざけ若僧!ワシの邪魔をした貴様ら全員、生かして返さんぞ、死をもって償うがいい!」
息が詰まる様な禍々しい気が立ちのぼり、ザッと黒い影が広がる。
影のそれぞれが異形を映し次第に質量をもってかたち成した。
うなり声のような低音がいくつも重なり、響く。
「このワクラバに出おうた事を後悔するがよい!」
襲い来る妖気に晒されるタイザンは1歩も動かず、
放射状に広げた符のうち1つを放って第一波を防ぎ、神操機を構えた。
「後悔するのはそちらだ。 式 神 降 神!」
ヒゥゥゥゥ、と空間が歪み交わる音
灼けて色褪せた風景に浮かぶ白い影が、ゆったりした足どりで進みこちら側へやって来る。
青い花に赤い花
徒花もろとも
咲けば散らす因果な生業
「 散った花にも 色は ありやすかい
霜花のオニシバ 見参! 」
ワクラバは式神を見た途端、ヒッと息を呑んだ。
「き、貴様っ、…霜花…!!」
血走る目を大きく見開き煙管を持つ手がブルブルと震える。
その一瞬の恐怖は、全て怒りへと擦り変わった。
「…おのれ!おのれ水行王!裏切り者め殺してくれる!何度でも殺してくれるわー!!!」
妖しが一斉に襲い掛かるが、技の印を切るまでもなく、オニシバが正確な狙いで次々に撃ち抜く。
妖しはいずれも立ちふさがる式神を越えられず、タイザンまでたどり着けない。
片腕だけを上げていたオニシバだったが、
背後で萌黄の依代が構えられるのと同時に両腕を水平に持ち上げる。
コッキングされた二丁の拳銃がワクラバを狙った。
「 兌 坎 離 坎! 」
「 縛鎖驀進爆音傑! 」
回天三八式改は火炎と見紛う気の弾丸を噴いて右、左と順に跳ねる。
弾は獣を形どり異形の影たちを一掃した。
「ぬううう、調子に乗るでないぞ地流の若僧がああああ!!」
「オニシバ、次にそやつが若僧と言ったら1200発ほどブチ込んでやれ」
「ダンナ、おとな気ねぇや」
呪を唱えたワクラバの周囲に先程より格段に大きく強力な影が現われた。
力を誇示するように吠える妖影を視界におさめたタイザンは、歓迎せんばかりに術者を向いて
「そうだワクラバ、せっかく溜込んだ妖気だろう、倒される前に見せてゆけ!」
「裏切り者め、裏切り者め!ワシが成敗してくれる!」
かっと目を見開く形相は凄まじく、理性を無くさんばかりの怒りに任せ封印に手を伸ばす。
残りかすといえど、元は最凶と言われた百鬼夜行、
長い時間をかけ慎重に、針の穴ほどの隙間から少しづつ得ていたちから。
ワクラバは今その穴を無造作に押し広げ、淀む圧倒的な力を手に入れようとした。
が、妖気の奔流を取り込もうと膨れた影は急速に力を失う。
闇に染まろうとした老爺の手は空を掻く。
求めた場所からは何も得られず、その先はまるで枯れた井戸を見るようだった。
「な…っ!?なぜ力に届かぬ!なぜ!」
愕然とした自問に対し、こともなげにタイザンは言った。
「先ほど封印し直したからな。さらに今頃は鍵をかけられているだろう」
「そのようなこと、できるわけがない!あれは地流などには扱えぬ代物ぞ!」
「それは全くもって不思議なことだな。 震、兌っ」
たった2つの印で、オニシバは肥大化し損ねた影を撃ち消した。
「馬鹿な、ありえぬ…!なぜ手出しできるのだ!
あれはウンリュウさまの、マホロバさまの、天流の…っ!!」
撃たれた闇が霧散するその横を、ワクラバ自身が走り抜ける。
老体とは思えない素早さを追い、耳をピンと立てたオニシバがタイザンを振り返った。
長い上着の裾を翻し地を蹴り、
「ダンナ、その煙管は仕込みだ!」
「死ねえええーっ!」
鋭い光がタイザンを狙って走る。
符で躱し、緊縛の符を打つ。
同時に、鈍色の陰陽銃の銃口が、ワクラバの後頭部へゴツリと押し当てられた。
皺だらけの手から煙管が落ち、硬い音をたて地を跳ねる。
その煙管の雁首からは鋭い錐状の刃が伸びていた。
容赦のない「縛」の符と、外しようがない距離で撃鉄が起きる音。
ワクラバは蒼白の顔に脂汗を滲ませ、わなわなと震わせた口から1拍おいて
「ま、待て、お主ら、地流じゃろう!ワシの敵は京都の天流!目的は同じだ!」
「ほう?」
「天流を滅ぼすのに力を貸すぞ!あと少しで仇敵吉川を倒す力が手に入る!」
「なるほど。お前を見逃せば地流が圧倒的優位に立てるというわけだな。」
「その通り!」
「それは困る」
冷たく言い放つタイザンは取り出した符を、ワクラバの額に力一杯貼り付けた。
銃に抑えられた後頭部と相まった痛み、恐怖と憤りに老人は悲痛な声を上げる。
「な、な、なにをするっ、年寄りの悲願を叶えてくれてもよかろうに!
くそっ!貴様らのせいで、よくも、よくも!」
貼り付けた符の中心を、人さし指、中指、薬指を揃え甲の側で突くと
錯乱しかけたワクラバの意識はプツリと途切れ、その場に膝折れ、倒れ付す。
「悲願ならば千年は努力するのだな」
足元に転がった老闘神士の額の符には「眠」の文字が浮かび上がる。
オニシバはその様をどこか面白そうに眺めながら、銃を上着の内の銃嚢へ仕舞った。
顔をあげると観察するようにこちらを見ていた契約者と目が合う。
「オニシバ」
「ヘイ」
有耶無耶になった追求といい、今の煙管の件といい、
ああ何か聞かれる、とオニシバは思ったが
「花が散れば、残るのは緑だ。」
と。
何やら得意気な顔つきで言われたので、小さく笑って同意した。
「粋っすね」
◇ ◇
「皆、ご苦労だった。では解散。」
ワクラバの妖力は尽き、またその穢れのため当分式神と契約は結べないだろう。
あれは本来天流が守るべき封印。
異変に天流の誰かが気付けば、すぐにワクラバの仕業だと足が付く。
放置する事で、天流に処断を丸投げした形だが、
下法を用いた時点で、ワクラバの天流闘神士としての命は終わっている。
これをもって前討伐部部長の仇討ちは終了、同時にタイザンの試験も終了したことになる。
「お疲れさまです…って、ここで解散で良いんですか?」
窓の向こうではエアポートイルミネーションが煌々と灯り、滑走路を幻想的に彩っていた。
そんな時刻だったので、駅までの移動が面倒臭いし鬼門からさっさと帰りたい
…という本心を悟られないよう、タイザンは真面目に頷き
「各自で東京へ戻れ。交通費は領収書をもらっておくように」
告げた瞬間、
「あ!忘れてた」
「どうしたハヤテ」
ハヤテが何ごとか思い出したようにポケットから封筒を取り出し、タイザンに押し付けた。
「これ、東京出る時クレヤマ部長に預かりましてね。
いやあ、俺関係ないからすっかり忘れちまってたぜ。確かに渡しましたよ。じゃ、お疲れさん」
手を振ってさっさと駐車場に向け歩み去る。
「牛丼でも食ってくかジュウゾウ!」と陽気な口調で呑気に鼻歌をうたいつつ、の退場だった。
「アイツ、本当にマイペースだな」
「…これは」
タイザンが封筒から取り出したのは、航空チケット。
おまえなら仕事を本日中に片付けるだろう!とみた、クレヤマの粋な計らいだった。
タイザンは殺意を憶えた。
が、よくよく見ればチケットは3枚だ。
もともと予定になかったので、イゾウのぶんがない。
タイザンは迷わず自分のチケットをイゾウに渡した。
「おまえたち今日は疲れたろうこのままヒコウキで戻るといい私は報告書をまとめる時間も欲しいし陸路で帰ろう」
やけに早口で一息に伝えた。
イゾウはチケットをしっかり受け取り
「えっ、いいんですか?悪いですねえ〜、さすが部長!器が大きい!」
ダンジョウとキリヒトもタイザンの不自然な態度をあまり気にする事なく
「それじゃお言葉にあまえて」
「お疲れっしたー」
「ああ、気をつけて帰れよ」
やけに親切に言葉をかける次の上司に見送られ、搭乗口を行く3人だった。
コンコースを歩きながら
「なんか容赦ない奴だと思ったけど、けっこう部下思いなのかもな!」
みたいな話で盛り上がった。
後日、タイザンは正式に部長に就任。
キリヒト、ダンジョウ、イゾウは討伐部に配属され直属の部下となるのだった。
ちなみに
ハヤテに関してはちょっと疲れるので断った。
おわり