符で「道」を作り滑走路の立入禁止区域に向かう。
空港に近づくにつれ強くなった不穏な気配を、タイザンは単独で調べに来た。
ダンジョウ、キリヒト、イゾウは隠形の術を習得していないのでターミナルに待機させている。
彼らは全く役にたたない。
「確かに浄化の痕跡がある。百鬼夜行が出たというのは事実かもしれぬ。」
強く吹く海風をうけ、タイザンが視線を向けた上空には、引っ切りなしに飛行機が飛んでいた。
「なんだ、今の」
イゾウが思わず声を発した。
キリヒトとダンジョウは顔を見合わせる。
空港内のカフェでのんびりとティータイムを過ごしていたので
腰を浮かせ神操機に手をかけたイゾウを、2人は訝しむだけだった。
「いまの?ってなんだ?」
「おまえら、見てねぇのか?!いまの!」
「だからなんだよ?」
「いただろ、今ここを黒いのが通り過ぎて…、おい、フジ!」
自分しか見ていない「モノ」に動揺してイゾウは式神の名を呼ぶ。
黒鉄のフジは透ける姿を静かに現し、契約者に向け頷いた。
『影の様な人間がこの横を通り申した』
同意を得たのに、イゾウは余計に青ざめる。
「…人間…?ありゃあ人間なのか?」
黒鉄組のやり取りに、ようやく残る2人も何か異変が起きたのだと悟った。
「ミソヒト、気付いたか?」
『先刻、すでに我々は勝ちを治めたばかり』
「違ぇよ!それ花札の話だろ!」
キリヒトは小馬鹿にした笑いを漏らし、カップを優雅にテーブルへ戻す。
「情けないなダンジョウ。ミンゴベエおまえは、」
『祭りの後は…寂しいねぇ…』
「まだ始まってもないし花札で負けたくらいで凹みすぎだ!」
カタッ
カタカタカタ…
脚の細いカフェのテーブルが揺れる。
周囲を歩く一般客も、揺れる足元に何ごとかと立ち止まった。
「揺れてる!」
「地震?」
ざわめく人々の声とは別に
闘神士たちの耳にだけ、しわがれた低い声が届いた。
地を這う様な声音は、脳に注ぎ込まれ全身を凍り付かせるほどに冷たい。
《…凝りもせず地流の闘神士めが…今度は式神だけではすまさぬ、命を取ってくれるわ!》
「!!」
「何者だ!」
「天流か!?」
3人はそれぞれホルダーに手をかけるが、一般客も多く敵の姿も見えないので降神を躊躇った。
その隙をつき、床を這う黒い影が一瞬で三方に伸び、足元に辿り着く。
墨を流したようなそれは、足を一気に這い昇り彼らの半身を黒く染めつつ、神操機を狙う。
黒に呑まれた足は、一歩も動かない。
神操機が壊れたら、なにもかも全てが終わる。
影と共に恐怖が体に染み込んだ。
「うわあああ!」
「『解』!!」
キィィィィン、と響く符の音。
ダンジョウ、キリヒト、イゾウの身体に触れた赤い符が発動し一瞬で黒い影を消滅させた。
「な…っ!?」
「…助かった…のか?」
気付けばしゃがみ込んでいた彼らの元へ
ライダースーツに身を包む若い男が歩み寄る。
「よ。待たせたな。」
軽い口調だったが、その手にはまだ闘神符があり、視線は鋭く周囲を伺っていた。
「鷹宮ハヤテ!」
◇ ◇
「これが仕掛けだ」
タイザンは黒く焦げたひと形を拾い、4人に見せる。
力を失ったことを示すように、すぐにそれは脆く崩れ去った。
「幻覚と攻撃を交ぜた呪だな。天流もなかなかやるではないか。」
タイザンが戻った時、カフェ周辺の騒ぎはとっくに収束していた。
他の場所には全く異変は無く、当然揺れもしなかったので、憔悴している部下の様子に何ごとかと驚いた。
が、イゾウの大げさな説明を聞くうち、タイザンは悟った。
彼らは、自身を手伝う部下などではなく、荷物であり、ハンデとして存在しているのだ。
部下の失態は、上司の責任となる。
これがテストである以上、一度に3人の闘神士をダメにしたとあっては昇進を白紙に戻されかねない。
「…よく間に合ったな」
「いえいえ」
労い代わりに声をかけたが、ハヤテは肩をすくめ何でも無いように手をヒラヒラさせるだけ。
イゾウの舌打ちが聞こえたが、舌打ちしたいのはこっちだ、とタイザンは思う。
注文したコーヒーをひとくち喉へ流し息をつくと、
全員揃った部下を前に、事前に仕入れた情報を話すことにした。
「先の討伐部部長と戦ったのは、ここに頻繁に現われる天流闘神士と聞いている。
しかし、どう交戦したのかという情報はない。使役もわからない。」
なにしろ、当人の記憶がないのだから詳細は不明のままだ。
敵の情報一切を「わからない」でまとめるタイザンの説明だったが、4人は黙って聞いた。
1度の襲撃で多少なりと心構えが出来たらしい。
「さらに、この空港はいわく付きだ。
開港前夜、天流が百鬼夜行を倒したという記録がある。地流の資料なのでこちらの詳細もまた不明だ。」
「本当に百鬼夜行だったか怪しいもんだがねえ」
「半ば怪談になってるぜ、天流の実力者が半分に減った事件だろ…」
「数年前の内乱でも減ってんのにな」
皆、それなりの知識は持っているらしい。
組織だった場所というのは、流れる情報も多く、それらは統制されている。
近年でもっとも大きな妖怪絡みの事件が出てきて、みな動揺を示す中、ハヤテが平然と口を挟んだ。
「で、アンタはこいつらと別行動して、何を調べて来たんだ?」
コーヒーを持った片手を目の高さまで上げ、タイザンを指す。
「空気が悪い要因だ」
「何だって?」
今見て来た滑走路の「穴」の事を話してよいものか迷ったが
飲み込みの悪い部下を眺めていると意地の悪い気分になる。
タイザンは口の端を吊り上げて笑み、教えてやった。
「何者かが意図的に封印に穴を空け、その力を汲み出している。」
「…ありえねー…」
「そんなの相手にしてらんねーっすよ」
気後れするキリヒトとダンジョウを押し退けイゾウが声を張り上げた。
「じっ、冗談じゃねぇ!!そんな危ない仕事だったのかよ!百鬼夜行だなんて聞いてねえぞ俺は!!」
椅子を蹴立てて立ち上がるイゾウへゆっくりと首を巡らせ、タイザンはさらに悪どく笑い
「イゾウ、呼んでもいないのに来てくれて助かったぞ。上に報告しておこう、人数は多い方が心強いからな。」
イゾウは顔を歪めた。暗に、逃げるなよ、と釘をさされたのと同じだった。
「百鬼夜行は封印じゃなく浄化じゃなかったか?」
ハヤテの冷静な問いに、タイザンは「なんだ、つまらん」と眉をひそめ答えた。
「察しが良いな。その通りだ、「穴」は浄化の副作用でできた陰気の吹き溜まりにある。
場所柄、清浄にしすぎる訳にはいかずわざと残した封印、といった類いのものだろう。」
「なんだ、百鬼夜行相手にするワケじゃないんですね」
キリヒトはほっと胸を撫で下ろす。イゾウも急に態度を改めた。
「タ、タッタイザン部長も人が悪い!驚かさないでくださいよォ〜!」
ハヤテはからからと笑って
「そんなでかい相手だったら、とっくに本部に連絡してるだろ」
「ま、そうだよなあ。」
ダンジョウも気が抜けた様な返事をした。
「それに、」
ハヤテは先ほどのタイザンのようにニヤリと笑って続ける。
「俺たちに何かあったら、立場が危うくなるのはアンタだ。」
4人の視線を受け、タイザンはフッと目を細めただけで返事をしなかったが、
図星を突かれてものすごくムカついていた。
ハヤテの会話運びが誰かに似ていると気付き、思い当たった人物にさらにムカついた。
今月のこづかいは減額してやる、と腹いせに決めたところで我に返って
懐から符を取り出す。
「どうするんです?」
なにか始めるらしい、と気付いた埋火使いの声に、タイザンは親切にも答えてやる。
「ハヤテの解呪は呪い返しになる。その痕跡を追う。」
灰となったひと形のあった辺りへ歩み寄り、片膝をついて符をかざす。
薄く赤い光を帯びる符に何ごとか唱えるタイザンの後ろで、地流の闘神士たちは各々感心してそれを見学した。
「そんな事もできるんですねえ」
「へーえ、さすが部長候補だ」
「いや〜見事です!タイザン新部長っ」
「…部長全員が出来るわけでもなさそうだがなあ、そんな術。」
「視えた。」
タイザンの呟きに会話が止む。
「術者の名が刻まれている。太極文字だな、…わ…、く、 ら…」
タイザンの肩ごしに、白い影が揺れ、犬の頭が身を乗り出すように見えた。
「… ワクラバ 」
タイザンが判読して満足気に立ち上がった時、オニシバはすでに神操機に引っ込んでいた。
「討伐部部長を倒したのも、封印から力を得ているのも、おそらくこの「ワクラバ」だろう。行くぞ。」
ターミナルを大股で突っ切る次期部長の後を、4人は追う。
仕掛けられた痕跡を辿ると、現われたのは天流の青く光る八卦図。
そして中心に浮かぶ「木」の文字。
ワクラバの節季が木行に因むとなれば、こちらのコマがどんなに弱くとも有効に使える。
タイザンは空港の施設案内の看板の前に陣取り、4人の注目を集め図面の中の3点を示す。
端から見れば、ツアーコンダクターが観光客に注意事項を伝えているような光景だった。
「これを頭に入れておけ。私は下準備をしてくる。」
下準備に部下を連れ歩く必要は無いし、御免だった。
ましてずっと一緒に居ては息が詰まる。辟易としているのは、おそらくお互い様だろう。
一応、ということで符を置いて行くが、それは見張り代わりだ。
襲撃は日没まで無いとタイザンは読んでいる。
一度失敗したワクラバは、今度は慎重に日が沈むのを待つに違いない。
日没後。
その方が強力になる力を、ワクラバは操っているのだ。
四半刻ほどでタイザンは人混みの中堂々と「道」から戻って来た。
看板前に突如障子戸が現れたので、待っていた面々はギョッとして周囲に視線を走らせるが
通路を行く人々は全く気づかず通り過ぎてゆく。
「あービックリした」
「えっ?なに?ここもう結界になってんの?」
「…下準備、ねえ」
位が高いだけあって、ハヤテは驚いた様子を見せなかったが、
ひとりだけサンドウィッチをモグモグ食べていたのでこれは性格かもしれない。
置いて行った符を回収するとタイザンは部下たちを一瞥し、
「そうだ。お前たちがスタバで一服しているあいだにな。」
「バレてんじゃねーか」
「だから言ったろ?」
「つーかコイツまだ食ってるし」
「すぐそこだったんだしいいじゃないッスか」
目配せし合う彼らの態度にこめかみをヒクつかせたタイザンは案内板を力任せにバシンと叩く。
「待機を命じた間に何をしていようが構わんが憶えろと言った事は憶えたんだろうな!」
そしてその場は再び、
添乗員が観光客に注意事項を伝えている風情の、端から見ると微笑ましい光景が繰り広げられた。
本当に憶えたのか心配になったが、4人とも空港の施設とターミナルビル4階分、案内板上の情報は理解していた。
「さすが現代っ子だな」という彼らにとって明後日の感想はかろうじて飲み込んだ。
「では今説明した通りダンジョウ、イゾウ、ハヤテは符を頂点に仕込め。キリヒトは私と来い。」
タイザンは下準備と称して、人に妖気が触れぬよう滑走路・格納庫・展望ホールを結ぶ
大きな三角形の結界を張ってきたのだ。
その三角の中に、赤銅・黒鉄・青錫の作る金行の小さな結界を形成する。
この三角形が拡散すれば、いびつだが六芒星となり、木行の力は失効するはずだ。
ワクラバが組み上げている呪は、
全てのカナメを木気に頼っていたので簡易陣でも充分効果はある。
金行の者たちを見送り、ひと気のない一角に人払いの陣を張る。
中継を任せたキリヒトから離れ、タイザンが落ち着くのを見計らって神操機から声がした。
『大掛かりな事をしてやすね』
「どうしても部下を使わねばならぬのだ、派手な仕掛けで徹底的にやってやるさ。」
『ダンナ1人なら話は早ぇのに』
苦笑する式神の言葉に「全くだ」と同意するも、タイザンはふと考え込む。
「ただ、分からないのはワクラバがなぜこのような危険を犯しているかだ。
封印を意図的に崩すような下法、知られてはことだろうに」
『さあ、悪あがきじゃありやせんかねえ』
「…なに?」
『……』
「……オニシバ。おまえ、」
「準備が済んだようです!」
キリヒトが駆け寄って来る。
式神への追求は中断し、念のため結界内の気配を探れば、符を全て仕掛け終えた事が確認できた。
3人ともすぐに戻って来るだろう。
「…そろそろ日没だな」
おのれ
おのれ地流の若僧ども
何故ワシの邪魔をする
あと少しで彼奴を葬る力が手に入るというに
おのれ腹立たしや
先に貴様らを贄としてくれるわ
集合場所へ戻る途中、イゾウは我が目を疑った。
利用客が行き来する空港内に、ピョンピョン跳ねる妖怪を見たのだ。
しかも、目が合うと追いかけてくる。
「な、何だァ!?」
逃げ出しながら、慌ててキリヒトに携帯を繋ぐ。
同時に、ダンジョウとハヤテも妖怪に遭遇し連絡をとってきた。
キリヒトは目を白黒させてタイザンに指示を仰ぐべく訴える。
「大変です!妖怪が出ました!」
携帯を受け取り、タイザンは落ち着き払った態度で
「大丈夫だ、結界内だから一般客に妖怪は見えない。降神なんかするなよ」
皆に通達した。
イゾウのがなり声が携帯越しに聞こえる
「大丈夫だじゃねぇよ!追われてんだよ!襲われてんだよ!」
「逃げ切れ。」
走り回っているらしく、息も絶え絶えのダンジョウも連絡を寄越す。
「結界で敵は無力化するんじゃなかったのか!?」
「まだ未完成だ。妖怪はおそらく符だろうが、爪や牙があるなら気をつけるように」
ハヤテも走りながら通信を繋ぐ。こちらは声に少し余裕があった。
「符なのに式じゃなく妖怪?」
「ワクラバが吸い取っている力は妖力だ。式神とは相反する。
…賭けてもいいな、奴は式神と契約していない。」
「…納得。って、コイツらしつっこいな!」
ハヤテの声が遠くなった。
タイザンはキリヒトに携帯を返し、真顔で呼ぶ
「埋火のミンゴベエ」
『ソイヤアッ!!』
「皆が逃げ切れるよう、応援してやれ」
『了解よ!そういうの得意よ!キリヒト、携帯を!ソイヤソイヤ!』
キリヒトは脱力して素直に式神に向けて携帯を持ち上げた。
「やめろ気が散るー!」と誰かの声が携帯から聞こえた。