場所は伏魔殿探索部、部長室。
クレヤマ部長は、部下の報告を聞いていた。
秋水使いのダイカンが、天流との闘いで式神を失ったという。
ムツキはなるべく私情を挟まないよう心がけて報告するのだが、
彼ととても仲の良かった友人が倒れた無念さは、クレヤマにもよく伝わった。
まして、水のフィールドで負けたのだから、悔しさはいかばかりか。
彼らはともに水行で相性が良く、部内でも相当の手練だった。
「天流か…」
クレヤマは太い腕を組んで考え込むように唸った。
敵が伏魔殿に手をつける心づもりならば、仕事上こちらも対策を講じる必要がある。
討伐部でも、多くの闘神士を失っているようだし、
廃れ滅ぶのを待つだけの流派、と侮る訳にはいかない。
どうすべきか…
数秒の沈黙。
「…よし!会議の議題に上げ、討議すべきだな」
クレヤマは難しいことを自分で考えるのがちょっと苦手な男だった。
そして幹部会議。
4部長が席につき、ムツキの報告書をそれぞれに興味深く読む。
宗家は所用で到着が遅れているという。
最初に口を開いたのは真っ先に目を通し終えたオオスミだった。
「なぁにこれ、伏魔殿で子供たちがキャンプしてたの?正気の沙汰じゃないわね」
面白そうな口調だが、感心半分、呆れ半分だ。
ひげを撫でて書類を見ていたナンカイは、しかめっ面を崩さず
「伏魔殿をナメとるのか自信があるのか。もしくは何か目的があったのか…?」
「いずれにせよ、最近の天流の動きは目にあまるかと」
相槌をうつタイザンに、クレヤマは大きく頷く。
「そうだ。おまえの所も関西、中部方面に送った部下は全滅と言うではないか!」
失敗を、おそらく他意なく指摘されてタイザンが不快そうに探索部長を見る。
ナンカイもオオスミも気付いている視線に気付くことなく、クレヤマは拳をつくり声高く告げた。
「地流の栄光のため、我々はさらに己が力を磨き、部下を鍛えねばならん!」
「そうね。鍛えてあげるから、何人かうちによこしなさい」
「何の実験に使う気ですか」
「あら失礼ねえ」
淡々とオオスミとタイザンが応酬する中、
資料から目を反らすことなく、建造部部長は声を低めて笑う。
「有利な条件の秋水・凝寂をやすやすと破るとはのう。確かに絆の薄い下っ端どもには
荷が重かろう。まして地上と勝手が違い消耗の激しい場所…」
「闘神石といい、全く研究し甲斐のある所だわ」
「部下たちの位を底上げできるよう、鍛練が必要かとは常々思っているのですが…」
真面目な顔つきで皆が黙り込んだ所に、会議室の扉が開く音。
「社長がお着きです」
という女性秘書の静かな声に合わせ、宗家が登場した。
場の空気がたちまち引き締まる。
4部長はその場で起立し宗家を迎えた。
扉から定位置につくまでの威厳に満ちた歩調すら、室内の隅々まで行渡る緊張感をもたらす。
「若い者たちが 鍛練に励めるよう、お膳立てをしてやるのも おまえたちの務めではないのか」
「ミカヅチ様」
「おっしゃる通りです」
どこから聞いていたのか、腰かけてすぐの議案に沿う発言を不思議に思う者もいない。
クレヤマは宗家の言葉に感動せんばかりに同意して
「ではミカヅチ様、さっそくトレーニングメニューを作成し皆に配り…」
「討伐部で似た様なことをしましたが、サボる者が出てきてうやむやになりました」
言い終わらないうちに冷たくタイザンがツッ込む。
クレヤマは厳めしい顔をさらに厳めしく思案顔をつくって
「なに。では…ノルマ制にし、サボる者には罰を与えるというのはどうだ」
「討伐部で似た様なことをしましたが全員を見張る訳にもいかず、自己申告なので
結局は…巧妙に誤魔化す者がでてきてうやむやになりました」
再び鋭い物言いで応えるタイザンだったが、
無駄に終わった苦労を思い出したのか険しい目つきで奥歯をギリギリ言わせていた。
「…じゃろうのう」
「…でしょうねえ」
ナンカイとオオスミが悩ましいため息をつく。
建造部、技研部と違い、探索部、討伐部は闘神士の実戦部隊。
と同時に異様に奔放な若手の集まりでもあるので、ともかくまとまりが無い。
実際、地味な鍛練より道理に反しても手っ取り早く点数を稼ごうとする者も複数いた。
または指示した鍛練方法を一切無視してひたすらパゥワーを求める者もいた。約1名。
社長は幹部たちを見て「ならば」と重々しく告げ注目を集め
「逃げられぬ場所をつくり一斉鍛練を行うがよい。
そして、鞭だけで無く飴も与えてやればよいのだ。」
低く重く発せられた内容を、4部長はそれぞれ検討した。
「…一斉鍛練、ですか」
「なるほど!」
「面白いデータがとれそうだわァ」
「若いもんがどれほど頑張れるかのう」
宗家の提案に反対するものもおらず、多少内容を詰めた後、
詳細はクレヤマに任せるとして、会議は次の議題へと移った。
後日
ミカヅチ社所属の闘神士たちに、以下の様な社内報が回ってきた。
_______●お知らせ●_______
時下の候、闘神士の皆様におかれましては益々ご清祥のことと存じます。
さて、来る20日、希望者を募り、地流の限りなき発展と更なる繁栄を祈念し、
伏魔殿にて気力の強化を目的とした一斉鍛練を行うことが決定いたしました。
宗家ミカヅチ様は、この一斉鍛練を通し、多くの闘神士が自らの力を試し、
個々の向上を胸に、地流として闘いの糧となるものを得るであろうとお考えです。
宗家のお志に添えるよう、闘神士一丸となり励み、鍛練を行う所存です。
何卒趣旨ご理解の上、多くの出席を賜りますようお願い申し上げます。 敬具
建造部ナンカイ 技研部オオスミ 探索部クレヤマ 討伐部タイザン
_______《注意事項》_______
鍛練中、気力消耗が著しく昏倒した場合、担当者が責任を持って地上に戻します。
但し、伏魔殿内における事故、記憶喪失があった場合は、各人の責任となります。
また伏魔殿内では気力の消費を補うべく、食べ放題飲み放題となっております。
集合場所等、詳しくは別添の資料をご確認ください。
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平闘神士たちは、当然その案内に食いついた。
真面目に鍛練を考える者も少しはいたが、
ほとんどは食べ放題飲み放題に注目した者たちだった。
参加者数は正に一斉鍛練に相応しい大人数になった。
部下が天流宗家の当て馬にもならない、と焦って創案した際は
最終的に強制力のないフワフワした指示に成り下がり立ち消えとなった「鍛練」だったが、
これは見事な飴鞭戦法で釣りあげたものだ。
(やはり地流宗家、ミカヅチグループ総帥。侮れぬ…)
社員として地流に潜入している神流は、気持ちも新たに裏工作に勤しむことにした。
企画が決定してから、クレヤマの元にタイザンが現われ、
伏魔殿のどの辺りで行うのかと詳しい情報を求めて来た。
伏魔殿については、探索部長であるクレヤマが、鍛練に参加する誰よりも詳しいと自負している。
必然、今回の企画の主要部分を一手に任されてしまった。
部室に訪れたタイザンに丁寧に場所と特性を教えてやると、説明途中で理解したのかしないのか、
「わかりました。ありがとうございます。」と無表情で礼を言う。
「構わん、伏魔殿のことならオレに聞くといい!ところでタイザン、相談がある。
食べ放題の内容についてだが…」
「メニューなど適当で良いでしょう。すみませんクレヤマさん、急ぐので失礼します。」
タイザンは本当に急いでいるようで、早足に退室してしまった。
それを見送るしかなく、クレヤマは途方にくれたように頭をかいてケータリングの案内を見た。
「仕方ないな。勝手がよくわからないのだが…。人数とコース、オプション…ううむ」
思案に耽るその頭上に、大きな影が尊大な態度でゆらりと現われる。
契約者とともにパンフレットを眺めた榎の式神は、面の奥の目を眇め、
引き結んでいた口を開いて契約者に助言した。
『クレヤマ。知恵をしぼるには、先ず 学ぶべし。「食べ放題飲み放題」を 学ぶが先決。』
「そうだ。おまえの言う通りだコンゴウ。」
探索部長は式神に同意し、パソコンを開き太い指で小さなキーボードを叩く。
だが当然、食べ放題飲み放題を検索してヒットするのは幹事さんへのご案内ばかりだった。
気にせず何件かのメニューを確認してみる。
このあたりで 迂闊なことに、勤務中にアルコールは無いだろう、という常識が薄れて来た。
「飲み放題ならば、生ビールは必須だな。ビールサーバーレンタル…、と。」
クレヤマは見かけ通り、豪快によく食べてよく飲む派だったので、
躊躇なく次々と発注項目を埋めて行く。
学問を司る式神は、監修宜しく頭上から追加を指示した。
『果物は身体によいぞ。筋トレにバナナはつきもの』
「うむ。理論的だ! フルーツ盛り…、と。」
こうして宴会さながらのメニューが揃うことになるとは、まだ誰も気付いていない。
◇ ◇
「よりによって負のフィールド。何が公平に無属性だ、あやつの目は節穴か!」
伏魔殿の奥ふかく。
朱色の柱に明かり障子、神流の隠れ住む雅びな居室で
赤い束帯の男はイライラするのを隠そうともせず、杯を手荒に盆に置いた。
彼の正面で酒を酌み交わし話を聞いていた青い束帯の男は、真剣な面持ちで
「地流が開けた出入口に近いゆえ選んだのだろうが、無知とは恐ろしい。
我々は近寄らねば良いのだな?もとよりあのような場所、寄り付こうとも思わぬが…。
「ああ。皆にも伝えおいてくれ、ショウカク。」
ショウカクは請け負った、と頷き、酒を手にする。
伏魔殿で長いこと使用している粉引きの杯に、さくらんぼチューハイのアルミ缶を傾けた。
久々に潜入先から戻って来た仲間にもそれをすすめつつ、
「しかしあの場所。下手をうつと地流をまとめて葬ることになりかねんぞ。」
「それも一興なのだがな…」
「違い無い。が、我々の計画までほふる訳にはゆかぬ。止められなかったのか。」
「わたしの立場で口を出すのは不自然だ。
何としてもあの場所の化け物を起こさずにやり過ごさねば。」
「難儀なことよ」
仲間の苦労を慮りしみじみ頷くショウカクはゆっくりと酒を啜り、
とっくに気付いているだろうと知りつつ、念を押した。
「いざともなれば 大事の前の小事、地流どもが食われる前に、闘神石をとるしかあるまい」
「…最終手段だな。」
二人は同時に盃をあおった。